7歳で突然ドイツへ:現地の小学校に通った私の苦悩とがんばれた理由

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皆さまこんにちは!Vollmond講師のKanadeです。
私は7歳から高校卒業の19歳まで、12年間をドイツで過ごし、当時は現地校に通っていました。

今日は特に葛藤が多かったGrundschule時代(小学1年生〜4年生)に焦点を当て、子どもながらにドイツ生活とどう向き合ってきたかをお話ししたいと思います。

「異国の地でも、子どもは自然に慣れていくものじゃないの?」と思う方もいると思いますが、私の場合はドイツ生活・ドイツ語に慣れるまでかなり時間がかかりました
子どもは大人に比べて柔軟性や適応力があると思う一方で、逆に言えば環境に影響されやすく、性格によっても個人差が生じることを一個人の体験記として伝えることができたら嬉しいです。

また、今当時の私のようにドイツ語圏の現地校でがんばっているお子さんがいるご家族の方には、子ども視点からの意見として何か参考にしていただけると嬉しいです。

Kanade先生のプロフィール

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出来事
2006.09.7歳で家族とドイツに渡航
2006.09. – 2018.07.12年間ドイツの現地校に通う(バイエルン州6年、ニーダーザクセン州6年滞在)
2018.06.Allgemeine Hochschulreife Abitur 取得
2019.04.上智大学文学部ドイツ文学科入学
2020.08. –Vollmondドイツ語講師
2023.03.上智大学文学部ドイツ文学科卒業
2023.04.渡独

ドイツ語を一言も話さなかったGrundschule時代

今となってはありがたいことに「ドイツ語を教える」ことをお仕事にさせていただいておりますが、ドイツのGrundschuleに通っていた頃の私は、ほとんど口を開くことはなく、ドイツ語に対して大きな抵抗がありました

元々人見知りだったこともあり、外国の学校に馴染むことが非常に困難でした。

日本の小学2年生の途中で親の転勤により突然ドイツに渡ることが決まり、バイエルン州の小さな町の現地校に放り込まれました。

そこでは、自分とは見た目も話す言葉も異なる子どもたちに囲まれながら、再び1年生からのスタートでした。

日本の学校や友達から離れてしまったショックや、全く知らない土地での生活から完全に混乱状態に陥ってしまい、精神的なストレスもあったのかな?と振り返ってみて思いますが、とにかく新しい学校で一言も発することはありませんでした。

ドイツ語を全く話せない子どもが現地校に入るケースが当時はまだ珍しかったため、担任の先生には中々「わからない」ことを理解してもらえず、「喋りなさい」「どうして隣の人のノートを写すの?」と怒られるのが日常でした。

親も何度か呼び出されては、「この子は話そうとしない。発達障害等の専門医を受診して」などと言われるほどでした(ドイツでは無口=発達障害と捉えられるケースは少なくありません)。

数ヶ月である程度簡単なフレーズは聞き取れるようになりましたが、「この子は喋らない子」というレッテルをすでに貼られており、それを覆すことに恐怖と恥ずかしさを覚え、自らドイツ語を発することはGrundschule時代の4年間で一度もなかったです

ドイツ(語)に馴染めなかった私が救われたこと

①「外」と「内」の明確な線引き

当時の生活を振り返ってみて気づいたことは、家に帰れば「日本」だったことです。

学校やその他公共の場では100%ドイツ語の世界、家の中では100%日本語の世界でした。

私にとって家はストレスのない、気を張る必要のない場所で、完全な安全地帯だったのです。

大変ではありましたが、補習校に行かず、母親と自宅で毎日のように日本語の勉強をしていたことも「日本」を感じられる要素の一つであったと思います。

②自分の好きなものとの出会い

私は昔から歌うことと踊ることが大好きで、たまたま父親が買ってきたDVD『ザ・サウンド・オブ・ミュージック』にどハマりしました。

本編はドイツ語か英語しか選択できず、英語よりは馴染みのあったドイツ語で観ていました。

気づけば何度も巻き戻しては歌とダンスを覚え、いつの間にか家ではドイツ語を発するのにそう大きな抵抗はなくなっていました。

特に音楽や映像は言葉がわからなくても楽しめるので、それがドイツ語に親しめる第一歩となったのかもしれません。

音楽には精神的なリラックス効果もありますしね♪

③外の世界との繋がり

とても恵まれてたなと感じるのは、学校に友達がいたことです。

「言語」というツールでコミュニケーションは取れなくても、私には幸い遊んだり笑い合ったりする友達がいました。

こちらが喋らなくても話しかけてくれたり、一緒に帰ったり、誕生日会に呼ばれることも多かったです。

もちろん家が最も安心できる場所ではあったのですが、外のコミュニティにもしっかり属することができていたのではないかと思います。

ドイツに少しずつ馴染んできた小学3年生からは習い事も始め、新しい人々と出会う機会もあり、学校・家以外の「第3の居場所」を作ることができたのも気分転換になっていました。

ドイツで一般的な習い事ができるところといえば Musikschule、Tanzschule、Sportvereinなどが挙げられるね。

違う学校の子どもたちや様々な年代の人たちと音楽やスポーツを通して仲良くなれるんだね!

④一緒に頑張る姿勢

上記で「家」が私にとって安全地帯であったというお話をしましたが、我が家の親子関係にも救われた部分があるように感じます。

渡独した当初はたったA4一枚の宿題でもなにがなんだかわからなかったので、母親と分厚い辞書を引きながら一緒に進めていく形でした。

インターネット上の和独辞典も15年以上愛用しております(今は電子辞書も一般的になっていますね!)。

親が教える・子どもが教わるといういわゆる上下関係みたいなものがなかったので、子どもとしては気持ちがとても楽でした(逆に親から「教えて」と言われることもありました)。

また、先生やクラスメイトに「なぜ喋らないの?」「喋りなさい」「喋らないくせに」など色々と言われてきましたが、両親に学校で喋ることやドイツ語を勉強することを強要されたことは、なぜだか一度もありませんでした。笑

家族全員で同じ土俵に立ち、新しい生活に取り組んでいたので心強かったです。

↓Grundschuleのプリントが出てきました。笑

問題すら書いていないことがあり意図を読み取るのにも一苦労でした。今でも下の問題の意図がわかりません…

VollmondのPodcast「ココロ踊るドイツ語講座」でも、ドイツ語に強い苦手意識があったKanade先生が変わった転換期について詳しく話してくれているよ!
気になる方はぜひ聴いてみてね。

今、講師として感じるマルチリンガル教育の課題

Vollmondで当時の私のような状況にいる子どもの生徒さんたちを多く担当させていただくようになってから改めて色々考えさせられました。

残念ながら、マルチリンガル教育や第二言語習得の問題点に目を向けているドイツの学校は未だそう多くはないと思います。

「現地校に通えば自然と話せるようになる」

「子どもだからすぐ環境に慣れる、言語もすぐに習得できる」

「ミックスだからどちらの言語も話せて当たり前」

などと思われがちですが、必ずしもそのようになるわけではありません。

実際には、言語習得以前に状況の変化に戸惑い、ましてやなぜ新しい言語を勉強しなければならないのか、どう勉強すれば良いのかがわからない状態の子どもたちが多いです。

それでも、それぞれ問題や不安を抱えながら毎日必死に頑張っています。

また、「自分がなんとかしてあげなきゃ!」と責任を感じて、負担が大きくなってしまう親御さんもいらっしゃいます。

そのため、保護者に限らず、教師、専門家などの大人が子ども一人一人に寄り添い、個別的にサポートすることが必要であるとひしひしと感じています。

家庭内で全て抱え込むことなく、周りをたくさん頼って相談しやすい環境が増えれば良いなと心から思います。

私は今秋からドイツの大学院で Deutsch als Fremd- und Zweitsprache(外国語と第二言語としてのドイツ語)を専攻する予定で、子どもにとって外国語が学びやすい環境作りを中心に学んでいきたいと考えています。

現地で奮闘するご家族のお力に少しでもなれると嬉しいです。

一緒に頑張りましょう!!/

Kanade先生

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Vollmondでは、現地校に通う子どもたちも、子どものためにがんばるご家族も、レッスンという形で多くサポートしています。

中学校卒業までの方は「プライベートコース」をご検討ください(高校生以上の方は全コースご利用いただけます!)。

Kanade先生や他の心強い講師が皆さんのドイツ語勉強に並走します。

Vollmondのレッスンは、ドイツ語を習得できる場としてはもちろん、家や学校・職場とはまた違うサードプレイスとして評価していただくことも多いです。

まずは初回レッスンだけでも、ぜひ気兼ねなくご受講ください!

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執筆:Kanade(Vollmondドイツ語講師)

編集:komachi(Vollmondドイツ語講師)

ドイツ生活