【ワーホリ体験談】31歳でドイツへ!ソーセージ愛から始まったワーホリ生活とその後の挑戦

はじめまして、Vollmond受講生のKanaです。

私は2023年5月までワーホリビザを使って1年間ドイツに滞在していました。
「していました」と書きましたが、実は1年を過ぎた今現在もドイツで暮らしており、今はFleischer(お肉屋さん)のAusbildung(職業訓練)を受けています

今回は私が渡独するに至った理由、1年間のドイツワーホリ生活での様々な出来事、その後ドイツに残りAusbildungをすることを決めた経緯等についてお話したいと思います。

ドイツへ飛び立つまでの2年間

全ての始まりはソーセージ

私は宮城県で生まれ育ち、地元の専門学校を卒業した後は地元の一般企業に就職したごく普通の一般人でした。
ドイツには縁もゆかりも無く、そもそも海外へ足を運んだ事もありません。

一生地元を出ずに生きていく事を信じて疑わなかった私ですが、どうしてドイツへ飛ぶ事になったのか。
きっかけはソーセージでした。

コロナが流行し始めた2020年頃、私はソーセージを食べ比べる事にハマっていました。
在宅期間はスーパーに並ぶソーセージ、次にコンビニのソーセージパン、外食がOKになった頃にはちょっといいレストランの自家製ソーセージ…

とにかくソーセージとあれば迷わずそこへ飛んでいき、食べてみては味の感想や写真を記録として残す事が当時の私の趣味でした。

そしてそんな行動を重ねていくうちにある時から、ソーセージが有名な国としてドイツに関心を持ち始めます。
加えて資格を取ることも好きだった私は、丁度何かいい資格は無いか探している最中でもありました。

そんな折にネットで見つけたのがドイツ語検定
見つけた瞬間ハッとし「これだ!」と次なる目標が定まりました。

独検について調べるほどに「もしかしたら将来ドイツに行く事もあるかも」という妄想も膨らみ、背中を後押しします。
私は即申込と入金を済ませネットで独検対策テキストを購入。

0からのドイツ語学習が突発的に幕を開けました。

独学で独検2級まで合格

初めの頃はただひたすらに黙々と、独学でドイツ語に向き合う日々でした。

外国語学習なんて高校生の英語の授業以来してません ましてや自発的にするなんて生まれて初めてです。
ネットで買ったテキストをコツコツと繰り返し何度も何度も解きまくりました

先生に成績をつけられるプレッシャーもない、例え合格出来なくても誰にも迷惑にならない。
大人になってからの勉強は、学生時代の勉強の何倍も自分の為にしている感覚が強く、毎日机に向かう事も不思議と苦ではありませんでした、

始めはGuten Tag!すら知らなかったドイツ語も、時間をかけることで次第に問題を穴埋め出来るようになっていきます。
学生時代に勉強が苦手だった自分のコンプレックスが払拭されていくような、大人になっても勉強していいんだという喜びと共に学習時間を積み重ねていきました。

その結果、その年の夏の独検で4・3級に無事合格し、その冬の独検では2級にもストレートでパスしました。
社会人として働く傍ら工夫して学習時間を捻出し、1年間かけて少しずつ自信をつけていきました。

実践的なドイツ語力を伸ばす勉強にシフト

そうして0からドイツ語を初めて季節が一周する頃、すっかりドイツ語学習が習慣になっていた私。
この流れで次は独検準1級を受けるか迷っていた中で資格としてのドイツ語より、実際に使えるドイツ語を身に付けたいと思うようになりました。

書く・読むがほんの少し出来るようになってきたこの頃、それに比べて聞く・話す力が圧倒的に足りてないことを実感していた時期です。

そこで以前から気になっていたオンラインドイツ語教室であるVollmondの少人数コースに思い切って参加。
それまで一人で取り組んでいたドイツ語というくくりの中に、新たに先生と仲間が加わります。

週末スマホの小さな画面の中でみんなに会えることは私の中のささやかな楽しみで、途中からは会話コースにも挑戦。
文法の学習と並行して、1対1で話す事にも少しずつ慣れていく練習を重ねました。

ワーホリに向けた準備

ワーキングホリデーの制度を知ったのも丁度この頃です。
30歳までならだれでも申請出来て、ドイツに1年間滞在できるというビザ。SNSで見かけたことをきっかけにずっと心に引っかかっていました。

そこで私はまず図書館でワーホリに関する本を借り、必要な情報をノートに書き出すことから始めました。
中身が充実していくにつれ、渡独することが私の中でより現実味を帯びていきます。最終的に私だけのワーホリノートへと進化していきました。

そうして0からドイツ語学習を始めてから2年、長期滞在をうっすら意識し始めた頃から1年後。
じっくり検討を重ね吟味し、私は当時約9年弱勤めた地元の一般企業に辞表を提出。

そこからパスポートの申請、ビザ申請の為の書類の準備、ドイツ語の勉強…
アルバイトをしながら貯金をしつつ、本格的に渡独へ向けた準備を進めていきます。

着々と支度を整え2023年4月に、とうとう東京のドイツ大使館へ赴きビザを申請。
私が申請した2023年4月時点ではワーホリビザの年齢制限は30歳まで。

具体的には31歳になる誕生日の前日まで申請可能で、実際に渡独するときは31歳になっていても問題ありませんでした。
そんなぎりぎりにビザ申請する人が居るの?と思う人もいるかもしれませんが、すみませんそれ私です

申請をした1カ月後に31歳の誕生日を迎え、年齢制限ギリギリでの申請、所謂ギリホリ民として同年6月、3年分の思いの詰まった夢の国・ドイツへとついに旅立ちました!

夢だったドイツ生活の幕開け

初めての国際線&入国

初めて飛び乗った国際線は、緊張と不安の連続でした。

まずこの時点で私はドイツ語を2年間勉強していましたが、英語知識はほぼ0の状態。
離陸直前にCAさんが英語で話しかけてきたのですが全く分からず大焦りしたり(シートベルトがちゃんと閉まってなかったようでした)、飛行機内では飲み物を頼む事すら上手くいかず、トランジット空港での荷物検査ではひっかかり、ようやく到着したドイツのフランクフルト空港での入国審査では初めてのネイティブとの対話でどもりまくり…

なんとか入国審査の関門を乗り越えようやく入国できた安心感でほっとしたのも束の間。
事前に予約していた長距離バスの発車場所を勘違いしており、重い荷物を引きずりかけずり回り汗だくになって出発時間ギリギリに到着した所、待ち構えていた二人の運転手に「遅いよ!」と怒声を浴びせられすっかり意気消沈。

目的地である語学学校の学生寮に着く頃には心身共にドロドロに疲れ切っており、荷物を下ろした途端ベッドに倒れ込んでしまいました。

しかし、早速翌日から語学学校へ通う事になっていた私。頭は時差ぼけが抜けきっていませんが、学校へ向かわなければなりません。
私は日本であらかじめオンラインで申込手続きをしていた語学学校へ路面電車を使って向かい、ドイツに到着した翌朝から早速授業が始まりました。

2ヶ月間の語学学校がスタート

私は事前テストでB1判定を貰っていたのですが、行きたいクラスを自分で選べたので1個下のA2クラスから学び始めることに。

教室に入ると、そこには10人前後の主に10代後半〜20代前半の男女がいました。私は比べるまでもなく最年長
授業は当然オールドイツ語、時々解説に英語を交えてくれますが、英語が全く分からない私にとってはドイツ語解説の方がむしろ有難いです。

授業の内容自体は日本で既に学習済みの範囲だったので、時々行われる小テストでも極端にひどい点数を取る事はありません。

ですが先にお話しした通り「聞く・話す」が壊滅的に苦手な私は、小心者の性格も手伝って積極的な発言などできません。
他国のクラスメイトが積極的に質問したり、物事をずばずば言う姿にただ圧倒されるばかり。

その上先生のドイツ語がほとんど理解できず、先生から口頭で何か課題をやるよう指示されても、周りをキョロキョロ見まわし同じ日本人の子と(今何する時間…?)と相談する事もありました。

2年間勉強してきた事などほんの些末な事だったと思わされるほど、授業後の私の頭はすっかりごちゃごちゃ。
ある時はすっかり自信を無くし、授業中自分のテキストに顔を落として「どうか早く終わってくれ」と祈る日すらありました。

そんな日は学生寮近くのカフェやアイス屋さんに足を延ばし、気分をリフレッシュさせます。

初めてのアイスの注文はただ挨拶するだけで緊張で口から心臓が飛び出しそうでしたが、ジェスチャーやアイコンタクトを交えると何とか店員さんも理解してくれます。
ドキドキしてやっと手に入れたスイーツは特別なおいしさで、束の間の癒しをくれました。

ドイツで初めてできた友だち

平日毎朝語学学校に行くと、しばしば私の隣の席に座ってくれるイタリア出身の女の子がいました。
その子は私が入学した少し後にこのクラスへとやってきて、何かとグループワークで一緒になる事も多く、休憩時間に自然と雑談を交わすようになりました。

自己紹介から始まり、彼女が好きな日本の漫画を聞いたり、ある時はお互いのSNSアカウントを見せ合ったり、英語のできない私に代わって彼女が先生に質問をしてくれたこともありました。
たどたどしくもドイツ語でコミュニケーションする時間は、私たちの距離を少しずつ縮めてくれました。

私は出会って間もない異国の友達とおしゃべりできることが楽しみとなり、学校へ足を運ぶモチベーションの一つになっていきました。
授業もわからないなりに楽しみ方がわかり始め、座学というよりは生徒間のコミュニケーションを重視した授業にも少しずつ慣れていきました。

しかしある日、彼女がクラスを去る日がやってきました 一度母国へ帰るというのです。
その知らせを聞いた私は今までお礼がしたい気持ちが湧いてきます 色々考えた結果「彼女の似顔絵を送ろう!」とひらめきました。

学もドイツ語力もコミュ力も無い私、それでも子供の頃から絵を描くことだけは好きで続けてきました。

今出来る事はこれしかないと急いでスーパーで画用紙と色鉛筆を購入。
彼女が学校に来る最終日の朝、家を出るギリギリまで紙の上に色を重ねました。

最終日の授業が終わった後、私は彼女の元に駆け寄りイラストを収めた封筒を手渡します。

するとびっくりした顔をしたのち、とても嬉しそうに私の名を読んでハグをしてくれました。
この時、私はたぶん人生で初めてハグをしたのですが、ぽかぽかとした相手の体温が伝わってきてとても緊張したのを覚えています。

「今まで貰った贈り物の中でこれが一番すてき」

彼女からドイツ語でそうメッセージを受け取った時は胸がいっぱいでした。
今でもSNSで繋がっている私たちは、今もお互いの写真に「いいね」を飛ばし合う仲です。

ドイツで初めての引っ越し

家探しの厳しい現実

そうして彼女が学校を去った頃と同時期、私はまた別の問題に直面していました。
寮を出た後に住む家が見つからなかったのです

私は元々語学学校に2ヶ月間通うつもりでおり、それに合わせて学生寮も2ヶ月で契約していました。
なので契約後に住む家、つまりドイツについてから2カ月後に住める部屋を探している最中でした。

ドイツの定番家探しアプリWG-gesuchtを使い、住人募集の広告に何十何百のメッセージを送る毎日。
しかしこれが中々返事が来ないのです

やっと繋がれたと思っても途中で返信を放棄されたり、ただのお祈りメールだったり、中には詐欺を思わせるような文面が飛んでくることも。
質問をしているのに一向に答えてくれず、会話のドッジボールのまま自然消滅していく事もザラで、家探しを初めて1カ月半も経つのに好感触の物件一つにも出会えていない事実に焦り始めていました。

大変だと聞いていたドイツの家探しが、ここまで過酷だとは思いもよらなかったです。
一度は、なんとか見つけた一カ月だけ住めるというシェアハウスに飛び込むことができて、そこに滞在しながら更にその先住める物件を探すという綱渡り状態の生活もしていました。

理想の家との出会い

そうして多数の広告にメッセージを送り続けること2カ月以上、ついにようやく、一人のドイツ人家主とコンタクトを取ることに成功します。
その人は以前日本にいた事があるそうで、日本人である私の見学を歓迎してくれました。

私は藁にもすがる思いで当時住んでいたハイデルベルクから、彼女が住む遠く離れたライプツィヒへ列車とICE(ドイツの新幹線)を乗り継ぎまっすぐ向かいます。

事前に教えてもらっていた住所を訪れると、優しい雰囲気の若い家主が出迎えてくれました。

3階建ての家の中をじっくり見せてもらってから、緑豊かなテラスで家賃やシェアハウスについての話をゆっくり聞かせてもらいました。
家の周辺環境もお部屋の雰囲気も良く、また物腰柔らかな家主の話し方も好印象で、私はすぐに「ここに住みたい」と思うように。

それからはトントンで話が進み、ドイツ語で書かれた契約書を隅々までよく読み込んでからサインをし相手側に送信。
それから2週間後の2023年9月、私は初めての海外生活の3ヶ月を過ごしたハイデルベルクの街を離れライプツィヒへと移り住むこととなりました!

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ワーホリ生活で忘れられない思い出

レストランでの仕事に挑戦

新天地・ライプツィヒでの生活が始まり身の回りの色々が落ち着いた頃、私は「ミニジョブをやってみよう」と決意します。

ミニジョブとは一カ月520€まで稼げる(2023年9月時点)、名前の通り小さく稼げるお仕事のこと。
自分のドイツ語がどの程度通用するのか知りたい気持ちもあり、まずは手あたり次第様々な求人に履歴書を送ってみました。

すると一件のアジアレストランから返信があり、呼ばれるままにお店を訪れたところ即採用。

私はお客様の上着を預かって番号札を配ったり、食べ終わった食器を下げ、テーブルのセッティング等をする所謂ホールのお仕事をしていました。
繁盛しているお店だったこともあり、出勤するたびに忙しくやりがいのある職場でした。

ドイツ語をバリバリ使う機会はありませんでしたが、それでも慣れてくると少しずつ「Kann ich Ihnen helfen?(何かお手伝いできることは?)」とお客さんに声を掛ける事もできるように。
また時々お客さんから日本語で「ありがとう」と言われたり、「お箸の持ち方教えてくれる?」と頼まれ、つたないながらもドイツ語で説明してあげたこともありました。

同僚もみんな親切で、たどたどしい喋りの私の言葉によく耳を傾けてくれました。
初めて520€の収入証明を受け取った時は「私が海外でお金を稼げるなんて」と感慨深い気持ちになった事を覚えています。

またドイツでは何かと高価な日本食をまかないとして食べられる機会もあり、これはとても有難かったです。
生魚を使ったカリフォルニアロール、からあげ、たこ焼き、うどん、肉まん等… 約半年ほど働きましたが、この時が一番豪華な食生活を送っていた気がします笑

ドイツでの仕事の探し方や職種についてはこちらの記事で詳しく紹介しているよ!

各地でソーセージを堪能

ドイツは夏と冬にビッグイベントが待ち構えています!
それは夏のオクトーバーフェスト冬のクリスマスマーケット

日本にいた頃は大して旅行に興味の無かった私ですが、おいしいソーセージが食べられるなら話は別です。
夏は国内2カ所のオクトーバーフェスト・冬は国内5カ所のクリスマスマーケットをお金と時間の許す限り堪能してきました。

オクトーバーフェスト

まずは夏のイベント・オクトーバーフェスト!

私はまず、オクフェス発祥の地と言われるミュンヘンへ朝一のICE(ドイツの新幹線)に飛び乗り向かいました。
ICEに揺られな一眠りしたらあっという間にミュンヘンに到着、会場へ向かうと巨大なテーマパークのような景色が広がっていました。

陽気なドイツ語の音楽が流れ、多数のテントと巨大な敷地に数え切れないほどの出店の数々…
加えて遊園地のような巨大観覧車やホラーハウスなどの遊具がそこかしこにあり、会場全体がエンターテイメントのたまり場のような、豪華な雰囲気で満たされていました。

私はまず1本0.99€という破格でヴァイスヴルストが食べられるというテントに突撃しミュンヘン名物・白ソーセージを堪能しました。
ゆでたてほかほかのポットに入ってやってくる白いソーセージは焼きソーセージと違うふわふわ優しい食感で、2本あってもぺろりと食べられそうでした。

その後は小さな屋台の牛肉焼きソーセージとチーズ入りチョリソーも実食 夏の暑さに肉肉しいソーセージのうまみと塩分が効いてハチャメチャにおいしいです。

固形物でお腹を満たした後は、大きなテントに入り1リットルのビールをカラカラに乾いた喉に流し込みます。
個人的な感想ですが、ドイツビールは水道水かな?とおもうくらい飲みやすく、つい飲むピッチが上がりがちです。

会場内には気合の入ったコスチューム姿のドイツ人や観光客で大変賑わっており、歩いているだけで面白いものが何かしらある空間 ドイツのザ・お祭りの雰囲気を心行くまで味わうことができました。

クリスマスマーケット

そして冬はドイツ国内のクリスマスマーケット、ライプツィヒ・ドレスデン・フランクフルト・カッセル・ミヒェルシュタットの5都市を訪れました。
この中でも一番思い出深いのが、ミヒェルシュタットのクリスマスマーケットです。

ミヒェルシュタットはヘッセン州にあり、フランクフルトなどの大都市に比べると祭りの規模もずっと小さい町です。

しかしながらそのこぢんまりとしたスケールとロマンティックな雰囲気が人気を博し、今では知る人ぞ知る穴場クリスマスマーケットの一つ。
私はかねてより興味があり、語学学校で知り合った友達と一緒に訪れてみる事に。

クリスマスイブイブの日、その町に足を踏み入れた瞬間、私たちの周りには伝統的な木組みの家々が立ち並んでいます。
町の中心へどんどん進んでいくとイルミネーションが施されたかわいい出店が軒を連ね、私たちのテンションは急上昇。
活気はありつつどこか品も感じる景観や雰囲気、まるでおとぎ話の世界を歩いているような心地にさせてくれます。

私はそこで羊肉の焼きソーセージを購入し、そのワイルドな食感に舌鼓を打ちました。
クリスマスマーケットの定番・グリューワインを頂きミヒェルシュタットのマグカップももちろんGET!

町のシンボルである木組みの市庁舎の前では定番クリスマスソングの生演奏が始まり、友達と二人その音色に耳を傾けます。
大人も子供もバンドの演奏に聞き入り、私たちは町の心地よい雰囲気にあてられ気づけば30分も時間が経過していました。

その後も町をぶらぶら歩きながら出店やイルミネーションを眺め、それだけで時間が溶けていくようです。
しかしミヒェルシュタットは1日で十分見て回れる規模の本当に小さなお祭り。

他の大都市は1日では見切れないほどの出店や催し物が並ぶことも多かったですが、ここは1日で全てを見て回れて満足感も◎
もしまたクリスマスマーケットに訪れるならここに来たい!と思わせる魅力がありました。

ワーホリ後もドイツに残った理由

職業訓練制度(Ausbildung)への挑戦

クリスマスマーケット巡りをする少し前になりますが、ドイツに住む日本人の方とお話しできる機会がありました。
SNSを通じて知り合ったのですが、話した内容はビザや住まいに関する悩みから、近くにあるおいしいレストランの話まで。
ネットで調べても出てこないような生きたドイツ暮らしの情報を日本語で得られる時間は大変貴重でした。

その中でも、ドイツの職業訓練制度(Ausbildung)を実際に受けている方の話が印象に残っています。
Ausbildungとは学校での勉強と企業での実習を組み合わせ、実際の仕事に必要なスキルを学べる制度のこと。
通常は三年続き、この訓練を修了することでその職業の資格を得ることが出来ます。

当時の私もその存在だけは知っていて、ざっくりと学びながらお給料を受け取れる制度という認識でした。
話を聞いた時は、大変そうだなあと思うだけで受け流していたのですが、どことなくこの話が胸のどこかにひっかかっていました。

そうして年が明け2024年1月。
ドイツ滞在も8カ月目に入り折り返し地点を超えた頃、私はドイツでAusbildungをしようかどうか本気で検討し始めていました。

Ausbildungは基本年齢制限が無く、日本に戻ったとして、元いた職場や同系統の職種には戻るつもりのなかった私。
もしかしたらこの制度を使う事で今から新しいキャリアを積めるのではと考えるようになっていました。

私は空いてる時間にネットでAusbildungについて調べ、集めた情報を自分の手帳に書き出すことから始めました。
3年間もその職業の経験を詰めたら立派なキャリアになる。30歳を過ぎても新しい事に挑戦していいなら、これ以上なく夢に溢れた選択肢に思えたのです。
そしてこの制度について調べるほどに、ドイツで働くことが私の中で「ありうる」選択肢に変わっていきました。

不安もありながら就活を開始

しかし大きな不安もありました。私のドイツ語の能力です。

2年かけて日本で学び、ドイツでは語学学校にも通い、レストランでのミニジョブの経験も積み、Vollmondの会話レッスンも継続して受けていました
それでも私の能力はまだまだ流ちょうとは程遠く、聞く話す能力の伸び悩みを感じていました。

もちろんドイツ語を始めた当初に比べたら出来る事も増え、自分を褒めたいと思う瞬間もあります。
しかし元来一人で過ごす時間が好きな私にとって、コミュニケーションというのは語学勉強以上にハードルが高い試練です。

ドイツに来てタンデムパートナーを作ろうとアプリを使ってみたり、色んなコミュニティに足を延ばしたりもしましたが、どれも良い成果を上げる事が叶いませんでした。

こんな私を3年間も受け入れてくれる場所が本当にあるのか?
受け入れてもらったとして、あまりの出来なさに絶望させてしまうのではないか?

考えれば考える程無謀な気がして、本当にこの道を選ぶべきか日本へ帰るのが妥当なのか、悩みに悩みました。
しかし考える事に時間を割くほど、就職先を探す時間は減っていきます。

そこで私は「ワーホリビザが切れる5月末までに就職先が見つからなければ日本へ帰る」と心に決め、意を決してついにドイツでの就活を開始。
早速ドイツ語で自分の履歴書を作り、求人サイトをチェックし募集中の会社に片っ端からメールを送りました。
時にはそこまで直接足を運んで「職業訓練やっていますか?」と質問することもありました。

これは1年滞在して気づいた事なのですが、ドイツは日本ほどメールの返信が迅速ではありません
翌日、ましてや即日返事が来る事は稀で、それは就活だろうと家探しだろうと同じです。
中には1カ月後にようやく返事が来たり、送ったきり返事のない会社、2度送ってようやく返事のある会社もザラにあります。

こんな現実に直面し、「もっと早く動き始めていれば…」と何度も思いましたが、過ぎた事を言っても仕方ありません。
その時は、その時にできる事をただひたすらコツコツとやり続けるしかありませんでした。

今の職場との出会い

そうして2024年春、ワーホリビザが切れる1カ月前のこと。
とうとう1つの会社から前向きな返信が届き、私は初めて2日間のPraktikum(体験労働)をさせて貰えることに。

1日目、出勤した職場は当然オールドイツ語
初めての環境に対する極度の緊張と人見知りが発動し、私はまともに喋ることもできず、8時間そこにいるだけで身も心もずっしり疲れていました。

2日目、昨日程では無いけれどまだ緊張の解けない私。
引き続き全ての指示を口頭だけでなく、実際に手を動かして見せてもらい、真似しながら動きます。
この日も8時間しっかり働き体は疲労でいっぱいでしたが、心は充実感と達成感で溢れてもいました。

こうしてあっという間にPraktikumが終わり、たった2日間でしたが私は強く「ここで働きたい」と思うように。
Ausbildungは本来9月から始まりますが、元々1年で帰国する予定だった為すでにアジアレストランのミニジョブを辞めていた私。

今は収入が途絶えている旨を伝えた所、有難い事に5月からProbearbeit(試用期間)の扱いで働く事を提案して貰いました。
私はもちろん喜んでそれ受け入れ、これを書いている現在ですでに4カ月ほど勤めています。

以上、このような経緯で、Fleischer(お肉屋さん)のAusbildungを正式に始めることができました!

新しい職場は新しい事に溢れていて毎日が発見と刺激の連続です。
時には落ち込む事もありますが、それすら新しい自分に出会ったような新鮮な印象を受けます。

7月には長期休暇(Urlaub)もあり、1年ぶりに日本へ一時帰国する事も叶いました。
3週間弱の滞在で、家族・友人・会いたかった人・行きたかったお店へたっぷり足を運び、大好きだった日本の映画館にも沢山通いました。

また両親には事前にドイツで職業訓練をする旨を伝えてはいましたが、改めて面と向かって報告することもできました。

1年の振り返りとこれからの決意

こうして私のドイツでワーホリビザを使っての1年間の滞在は幕を閉じ、新たに職業訓練生としての生活が始まりました。
今は外国人局にAusbildung用の滞在許可証を申請している最中で、その間を埋める仮滞在許可証を受け取り生活しています。

当初はドイツで働くつもりも無く、1年たったらすっぱり日本に帰ろう!と決めていた私。
もっと昔を思い返せばそもそもドイツに興味すらありませんでした。
ただ地元で普通の社会人生活をして、ここから外へ出る気など一切無かったあの頃からは全く想像できない生活をしています。

しかし今私がドイツにいる事はまぎれもない事実で、地元で9年弱働いたこともドイツでこれから働く事も同じ道の上にある事を折にして実感します。

ドイツに来てからしばしば「自分の事って自分でやらないと本当に誰もやってくれないんだなあ」と当たり前な事を思う事があります。
しかし同時に「自分が動けば自分の事って本当に動き出すんだなあ」とも強く感じます。

勉強も仕事も人間関係も、苦しいも楽しいも全部自分の責任で、自分の責任だからこそ更に動けるのだと今は思います。
動いた人しか自由になれない、もしそれが真実なら私は自分の夢を叶えるまで止まらず歩き続けたいと思います。

これから私は少なくとも職業訓練を終える3年間はドイツに滞在する予定です。

将来自分がどうなるかまだまだわかりませんが、今は「出来るところまでやってみよう」という半ば挑戦的な気持ちでいます。不安も大きいですが、もっともっと自分自身を動かして、成長して、よりよい方向に向かえるよう努力し続けるつもりです!

これで私のワーホリ体験記を終えたいと思います。
長々とお付き合いいただきありがとうございました!

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自然なドイツ語を身につけるためには、練習が欠かせません。
先生と一緒に会話練習を繰り返し、学んだ表現を自分のものにしていきましょう♩
Vollmondは日本人講師が多いので、初心者の方でも安心して受講できます。

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編集:komachi(Vollmondドイツ語講師)

ドイツ語圏留学